大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 昭和57年(わ)359号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

押収してあるライター一個(昭和五七年押第一一九号の二)を没収する。

押収してある白色封筒一枚(前同号の三)、検査料内訳書在中の封筒一六通(前同号の四ないし一九)及び検査料内訳書一通(前同号の二〇)は、被害者橋本信に還付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、仙台市国分町のスナックで飲酒し、酒に酔つて付近を徘徊するうち、サラ金業者からの借金がかさむなどして金員に窮していたことから、金品を窃取しようと決意し、昭和五七年六月二〇日午前一時三〇分ころ、仙台市立町二七番二六号けやきハイタウン(鉄筋一〇階建)一階橋本外科医院(医師橋本信経営)に無旋錠の西側裏口ドアから侵入し、同医院受付室の机上にあつた手提げ金庫をあけて橋本所有の検査料内訳書が入つている封筒一六通(昭和五七年押第一一九号の四ないし一九)及び検査料内訳書一通(同号の二〇)在中の七十七銀行名入り白色封筒(同号の三)を金銭在中の封筒と誤信して窃取したうえ物色中に手で触れた書類や右金庫についた指紋から自己の犯行の発覚をおそれるあまりそれらを焼燬して犯跡を隠蔽しようと決意し、同医院の壁、天井などに燃え移るかもしれないと認識しながらそれもやむなしと考えて、右医院受付室内において、前記窃盗の際明りとするため所携のライター(同号の二)で点火し、火のついたまま床上に放置してあつた紙片の上に、カルテなどの多数の書類や右金庫を積み重ねて燃え上らせ、更に、同室の壁、天井などに燃え移らせ、よつて、橋本信所有の現に人の住居に使用せず、かつ、人の現在しない右医院の受付室(床面積約2.52平方メートル)などを焼燬したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(非現住建造物等放火罪を認定した理由)

検察官は、本件放火の犯行につき、被告人は、橋本外科医院に火を放つて橋本信ほか六九世帯が現に住居に使用する鉄筋一〇階建マンションけやきハイタウン(延床面積5,663.7平方メートル)を焼燬しようと企て、その実行行為に及んだものであるとして現在建造物等放火罪が成立すると主張するが、当裁判所は、本件放火の客体は非現住建造物たる橋本外科医院であつて、被告人の犯意も、他の居住部分に延焼させることまでの認識認容はなく、同医院を焼燬する未必的認識があつたのにとどまるものと認め、非現住建造物等放火罪の成立を認定したので、以下にその理由を述べることとする。

一前掲各証拠によれば、本件けやきハイタウンは、昭和五五年四月ころ建築された鉄筋一〇階建のマンションで、住戸数は七二戸あり、当時二階以上に橋本信ら一般入居者七〇世帯が居住していたこと、同マンション一階には、本件放火の被害を受けた橋本外科医院(医師橋本信経営、但し、同人の実父の経営する温古堂診療室、同受付室も同じ区画約197.04平方メートルの中にある)のほか玄関ホール、車庫、電気室、管理人住居等が存在するが、右医院は同マンションの他の区画と鉄筋コンクリート製の壁、天井などで画された独立した区画となつていること(なお、同マンション一〇階に居住する橋本信方とは親子電話で連絡がとれるようになつている)、そして右医院では、医師橋本信が通いの看護婦兼事務員の阿部紀美子と二人で、平日の午前八時ころから午後七時ころ(土曜日は午後零時三〇分ころ)まで外来患者の診療にあたつており、入院設備はなく当直員なども置いていないため夜間は無人となる(前記温古堂も同様である。)ことが認められる。

そうすると、橋本外科医院自体は、専ら業務、職務の執行場所として現に人の住居として使用していない建造物であり、本件犯行当時人の現在しない建造物であつたと解されるところ、問題は、検察官が主張するように、同医院がけやきハイタウンの一部として現に人の住居に使用されている部分と一体の建造物と評価しうるか否かにあるので以下これを検討する。

専ら業務、職務の執行場所として用いられている建造物が、現に人の住居に使用される部分と一体の建造物と見做しうるか否かについては、たんに物理的な観点のみならず、その効用上の関連性、接着の程度、連絡・管理の方法、火災が発生した場合の居住部分への延焼の蓋然性など各種の観点を総合して判断すべきところ、橋本外科医院は、けやきハイタウンの一階にあり、構造上他の区画と接着しているとはいえ、他の区画とは鉄筋コンクリートの壁、天井などで画され、独立性が強く、他の居住部分と一体の建造物とみることは困難である(前記管理入居住部分は本件医院とは幅1.7メートルの屋外通路をはさんだ別の区画内に存するから本件医院と構造上一体とみることはできない。)。また、本件医院は、居住者らのいわゆる共用部分といえないことは勿論、居住者らが居住のため常時使用する設備をみることもできないし、同マンション一〇階にある橋本信の居宅とは親子電話による連絡がとれるだけであるから、居住部分との効用上の関連性は薄いといわなければならない。そこで、次に、本件医院に火災が発生した場合の居住部分への延焼の蓋然性について考えると、本件けやきハイタウンのような共同住宅については、消防法上原則として自動火災報知設備及び屋内消火栓設備などの設備が義務付けられているが、消防庁が昭和五〇年五月一日に発した「共同住宅等に係る消防用設備等の技術上の基準の特例について」と題する通達には特例として右義務を免除しうる基準が示されており、仙台市では右特例にもとづきその基準を更に厳しいものとした「特例を適用できる共同住宅の基準」と題する条例を定め、出入口は開放型廊下に面し自動閉鎖式の防火戸であること、各住戸は開口部のない耐火構造の床及び壁で区画されていること、外壁の開口部が直上階の開口部と同一垂直線上にある場合は不燃材料のひさし等で遮られていることなど、延焼しにくい防火構造上の基準を満たすときには、申請にもとづき、仙台市消防局が右義務を免除することができるとされているところ、本件けやきハイタウンは、右基準に合致する構造、設備を備えているとして、現実に自動火災報知設備などの設置義務が免除されていること、従つて、本件けやきハイタウンは、床、壁、天井部分が鉄筋コンクリートで構成されており、しかも各区相互間は開口部が全くないので、これらの部分から他の区画へ延焼することは考えられず、延焼が考えられるのは、一区画で発生した火災の火勢が強くなつて炎が窓ガラスを溶かし建物の外部に吹き出し、風などの状態によつて炎が上階或いは隣りの区画の窓に直接当たり、更にその窓ガラスが熱で溶けるような悪条件の重なつた極く例外的な場合に限られ、一般的には他区画へは容易に延焼しないすぐれた防火構造を有する建物であるといいうるところ、本件橋本外科医院には、一階部分において、直接隣接する区画はなく、上階には、八重寿興業事務所(二〇七号)、東治療院(二〇六号)、山田きよみ方(二〇五号)があるものの、二階のバルコニーは1.10メートル、廊下は1.70メートルの幅があり、前記仙台市の基準で必要とされるひさしの幅0.5メートルの倍以上が確保されており、結局、同医院から他の区画への延焼の可能性は更に少ないこと(仙台市消防局予防課主幹兼建築設備係長三浦勝介の検察官に対する供述調書など)がそれぞれ認められる。

そうすると、本件医院は、すぐれた防火構造を備え、一区画から他の区画へ容易に延焼しにくい構造となつているマンションの一室であり、しかも、構造上及び効用上の独立性が強く認められるのであるから、放火罪の客体としての性質は該部分のみをもつてこれを判断すべく、本件建物が外観上一個の建築物であることのみを理由に、右医院の右マンション二階以上に住む七〇世帯の居住部分を一体として観察し、現住建造物と評価するのは相当でないというべきであつて、本件医院は非現住建造物と解するのが相当である。

二また、被告人は、判示のとおり、窃盗の際、手に触れた書類や手提げ金庫についた指紋から自己の犯行が発覚するのをおそれるあまり、それらを焼燬して犯跡を隠蔽しようと決意し、橋本外科医院に燃え移るかもしれないと認識しながらそれもやむなしと考えて右医院受付室の床上に書類等を積み重ねて放火し、同室などを焼燬したものであるが、放火の際、右医院が上階に多数の入居者の居住するマンションの一階にあることを認識していたことは認められるものの、上階の居住部分にまで延焼させることを認識し、未必的にもこれを認容したことを認めるに足りる証拠はない。

三そして以上の事実によれば、被告人の本件犯行は、現在建造物等放火罪には該当せず、非現住建造物等放火罪を構成するものと考えるのが相当である。

(法令の適用)〈省略〉

(量刑の理由)

本件犯行は、被告人が、サラ金業者から多額の借金を重ねているのに、ポーカーゲームなどでボーナスを浪費して小遣銭に窮し、深夜、酒に酔つた勢いでマンションの一階にある個人医院にしのび込み、手提げ金庫から検査料内訳書等在中の封筒を金銭の入つた封筒と誤信して窃取したうえ、犯跡を隠蔽するために放火し、その受付室などを焼燬したというものであつて、犯行の動機、態様が悪質であること、一時期火勢がかなり早期に発見されなければ右医院が全焼する可能性があつたこと、マンションの入居者に多大の不安を与えたと考えられることなどに徴すると被告人の刑責は非常に重いものがあるというべきである。しかし、他方、被告人は、判示のとおり、窃盗の際手に触れて指紋のついた書類や金庫を焼燬しようとして放火の決意をするに至つたのであつて、右医院の焼燬について、未必的に認容したにすぎず、これを積極的に意図した訳ではないこと、本件放火直後、異常に気付いてかけつけた被害者らの家族らによつて早期に消火活動が行われ、結果的に焼失面積がそれ程大きくなかつたこと、被告人は、本件を深く反省し、唯一の財産とも言える自宅及び父親名義の敷地を売却して二〇〇万円の被害弁償をし、被害者から宥恕を得ていること、今までさしたる前科前歴のないことなど有利な事情も認められ、これらの諸事情を考慮すると、本件の罪質及び犯行の態様にかんがみ実刑はやむを得ないにしても、酌むべき情状もあるので、以上の諸事情を総合勘案のうえ、主文のとおり量刑する次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(野口喜藏 北野俊光 波床昌則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例